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◇竹富補足

 

 以下は『西表炭坑概史』より、西表西部の炭礦の歴史を抜萃・改変したもの。
 なお当サイトでは「炭鉱」を本来の表記である「炭礦」に統一してあるが、「炭坑」も含めここでは原文のままにしてある。

年代

主な出来事

(年代不詳)  西表村の少年が焚き火中、火が石垣に燃え移る。“燃る石”の発見(口碑)
明治4  鹿児島の人物・林太助が帆船で石垣島に漂着。のち西表の「燃える黒き石」の話を聞き西表に渡航。石炭を確認(教えた人物は、のちに波照間島に流謫(石炭加那事件))
明治18  鹿児島の士族・田代安定、林太助を県御用掛(※1)に採用し西表島の炭脈を調査
 三井物産会社、
元成屋などにて試掘。西表における採炭の嚆矢となる
明治19  三井物産会社、本格的な採掘を開始。元成屋などの土地を借区。白浜(しらはま)・木炭(もくたん)(※2)に貯炭場を設置。船浮(ふなうき)港より福建・廈門・香港に輸出
明治22

 三井物産会社の坑夫、マラリアのため福岡県の三池(みいけ)炭鉱に引き上げ。同社による事業は事実上中止

明治25  三木炭坑、元成屋にて採掘開始。石炭は沖縄開運会社(※4)に供出
 三井物産会社の西表炭坑代理人・三谷伊兵衛、同社との間に坑区の貸借契約を結び、内離(うちぱなり)島(
成屋)の土地を借区
明治28  三谷坑、業績振るわず採掘中止
 大倉組、内離島の
南風坂坑を中心に採掘開始。石炭は香港・上海へ輸出
 西表島郵便局を内離島(
南風坂)に設置
明治29  三木炭坑、業績振るわず事業中止
明治32  大倉組、業績振るわず事業中止
 沖縄開運会社(※3)、採炭事業開始。石炭は台湾総督府へ納付
明治41  八重山炭鉱汽船合名会社、元成屋にて採炭事業開始。石炭は台湾・香港・上海に輸出。内離島(南風坂)に同社経営の私立小学校(南風坂小学校)設置
 沖縄開運会社(※3)、事業中止
大正3  一部の坑夫が那覇に脱走、苛酷な労働の実態を吐露(同年12月の「琉球新報」に「坑夫物語」として掲載)
大正5  岐埠(※4)の資産家・山之内豊太郎、西表炭鉱会社を設立、内離島(成屋)の旧三谷坑で採掘開始
大正6  第1次世界大戦勃発。国内の石炭の需要が増加
 西表炭鉱会社、沖縄炭鉱と改称。本部を白浜に置き、内離島(
成屋)にて採掘開始。石炭は香港・上海・那覇・大阪に輸出

大正9

 先島炭鉱会社、仲良(なから)川河畔にて採炭開始。石炭は主に那覇へ輸出
大正10  八重山炭鉱汽船、不況のため採炭事業中止
 河野吉次、八重山炭鉱汽船の業務を引き継ぎ琉球炭鉱会社を設立。内離島(
成屋)を拠点に採掘開始(※5)。石炭は那覇・香港・上海・台湾に輸出
大正11  星岡亀彦、星岡炭鉱設立。仲良川河畔にて採掘開始。白浜に同炭鉱経営の私立白浜小学校(※6)設置
大正12  共立炭鉱、事務所を白浜に置き上原(うえはら)稲葉にて採掘開始。のち上原はマラリアにより廃止されたため、新たに崎山にて採掘
 先島炭鉱、不況のため事業中止
大正13  沖縄炭鉱、不況のため事業中止
大正14  高先炭鉱、仲良川(南側の支流で、俗称「仲良二番川」)河畔にて採炭開始
昭和7  琉球炭鉱、河野合名会社と改称
昭和8  高先炭鉱、丸三合名会社と改称。宇多良に進出、丸三炭鉱宇多良鉱業所開設(※7)。のち炭鉱集落が形成され、坑夫納屋・小学校(みどり学園)(※8)・劇場・公民館・病院などが建つ
昭和11  名古屋の資産家・山内卓郎、南海炭鉱を設立。採掘開始
昭和14  政府、「石炭配給統制法」を制定。石炭の増産奨励金・新坑開発奨励金などの増産対策をとる。また「朝鮮人労働者募集要綱」を策定。朝鮮人の強制労働へ
昭和15  沖縄県警健康保険課、坑夫の健康調査報告書を刊行。労働の惨状を明らかにする
昭和16  政府、炭坑における深夜労働の禁止緩和・幼年労働者・婦人労働者の坑内労働を認める
 陸軍、西表島西部に要塞の建設開始。炭鉱の坑夫が軍夫として強制労働に動員される
昭和18  西表炭鉱会社、坑夫の徴用・応召により事実上の事業中止
昭和20  度重なる米軍の空襲により、坑夫の避難小屋全焼。食糧難による栄養失調、マラリア蔓延に苦しむ。敗戦へ
昭和23  米軍マチウス大佐、復興資材の伐採のため西表に来航。上原採炭所を開設
昭和25  琉球興発株式会社、米軍より上原採炭所を譲り受け、事業開始
昭和27  琉球興発株式会社、事業中止。松山哲郎が上原採炭所を譲り受け採掘開始。県内の酒屋・鰹工場の燃料用として供出
昭和32  上原採炭所、松山哲郎の急死のため事業中止。西表における採炭の終焉

※1 役職名。原文では「御用係」
※2 元成屋の南、船浮のほぼ真東の沿岸にある。元成屋では骸炭(コークス)も製造していたが、骸炭用の木炭を焼く窯があった土地がそのまま地名になった。居住者もあったよう
※3 「開運」は「海運」ではないよう
※4 岐阜の誤植だろう
※5 琉球炭鉱は内離島に私立琉球炭鉱尋常小学校を設置している
※6 設立当初は白浜仮教場。数年後白浜分教場となり、のち白浜小中学校となる
※7 ただし現地の案内板や他の資料では、昭和11年とある
※8 後の上原小中学校に引き継がれる

 

 

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